あしたのジョーファンサイトSOUL OF JOE

著者インタビュー

豊福きこうさん、今回はインタビューに応じて頂き誠にありがとうございます。
それではよろしくお願いします。


こちらこそ、こんな超クール(最高)なジョー熱に燃えるファンサイトにお呼びいただいて、とてもうれしいです(笑)。
どうぞよろしくお願いします。

今回は”あしたのジョー”の部分に特化してお聞きます。
研究本をこのネタでやろうと思ったきっかけは何でしょうか?

白く燃え尽きたジョーのラストカットがあまりにも有名ですが、プロボクサーとしての矢吹丈の戦績は実際どんなものだったのだろうか、という子供っぽい好奇心からです。これは『巨人の星』の星飛雄馬のプロ野球成績を知りたい、というのと同じ動機ですね。最初に調べたときからもう20年近く経ちますが、当時、誰もやっていなかったので自分で調べることにしたわけです。
あと、『あしたのジョー』に関しては、例の「我々は明日のジョーである」宣言などで全共闘世代と結びつけて語られることが多かったので、ジョーをその重荷というか、呪縛から解放して楽にしてあげたい、という気持ちも正直ありました。ジョーがそんなものを背負って戦ったはずは絶対ないはずですからね。
余談になりますが、マンガ・データ主義のヒントのひとつは、実は村上春樹の言葉なんですよ。
「数字で表わされるものは、かなりの部分までカバーできるはずだと思っている。小説をかくときも、できるところまで数字で表してやろうと思ってたのね。」
ジョーはプロで5敗していますが、その相手をみると、その後にリベンジで勝った相手はひとりもいません。これはヒーローとしては非常に珍しい。たとえ負けても最後には勝つという典型的なヒーローの星飛雄馬やタイガーマスクなどに比べると、いわばジョーは“永遠の敗北者”なんですね。ヒーローとしてのプロ19勝でなくて、5敗という数字は、実はジョーというキャラクターというか、彼の人生をとてもよく表しているように思うんですよ。

一番驚いたのが”総パンチ数”です。
これは実際に漫画のコマにおける擬音数を数えたのでしょうか?
正確にはコマ以外にもパンチ表現はあったかと思います。
こちらは切り捨てざるを得なかったのでしょうか?(例えばホセVSジョーの14ラウンド等)

基本的には擬音数ですが、それに戦う両者の体の動きをマネしながら、パンチの数を「正」の字をB5のレポート用紙に書きながら数えていきました。
作品中の省略に関してですが、マンガ・データ主義で最も重要なのは、「わからないものはわからない」という、ある意味開き直りというべき覚悟を決めることです。『ドカベン』の山田太郎の通算打率のようにあとで補足できる場合はまだ助かるのですが、『あしたのジョー』でのパンチ数などは、それも不可能です。ですから、ジョーは“最低でも”これだけの数のパンチを喰らったんだ、ジョーは“最低でも”これだけの数のパンチを相手に喰らわしたんだ、と考えるようにしました。
それだけに作品中で描かれたパンチ数に関しては、冗談でなく一種ノイローゼになるほど一所懸命に何度も数えました。一発のパンチも見逃してはならないという緊張感とプレッシャーがありましたね。
『あしたのジョー』を調べているとき、ちょっとした拒食症のようになって、10キロ近く体重が減りました(身長176cmで体重54㎏に…)。それで、銭湯に行ったとき、フラフラになって浴場の大きなガラス扉にもう少しで激突しそうになって死にかけました。今思い出してもゾッとします(苦笑)。

通算成績を主人公のジョー以外でもまとめられている所にも凄く興味を惹かれました。
こちらはジョーと比較する意味でお調べになったのでしょうか?

これは力石徹というプロボクサー、彼のキャラクターを非常によく表す記録としてまとめました。プロ無敗の力石。
“永遠の敗北者”のジョーに対して、“永遠の勝利者”である力石。あの過酷な減量にも耐えて死んでも負けなかった男。まさしく、その証明です。
あと、個人的に思い入れがあるのが、マンモス西のプロ成績。プロボクサーとしては大成しなかったが、そのたしかな記録を、ぜひとも載せたかった。

文庫本になり、今度はちば先生の作品カットが入ってより見やすくなった感じでした。
こちらを出すに当たってのエピソード等あればお聞かせ下さい。

そうですね。最初の本では作品カットが一コマも使えませんでした。それだけにジョーの故郷(ホームタウン)である講談社での文庫化、しかも表紙カバーのカラーイラストから本文中の作品カットまで自由に使わせていただいたということは、まさに夢の実現であり、光栄の至りでした。
それと、最初の本『水原勇気~』を出したあと、連載最終回の扉絵がKCコミックス版ではカットされていたことを知って、たいへん後悔しました。実は、その扉絵はジョーがホセにパンチを喰らわせた場面だったんです。自分が発表したジョーのパンチ数がひとつ少なかったわけで、そのことを日本の全国民誰も知らない、ということがずっと気になっていました。誰も気づかず、気にもしないだろうけど、いつか訂正したいという思いが、この文庫化につながりました。
もし記録やデータの誤りや新しい発見があれば、修整・更新していくということが、まさしく“マンガ・データ主義宣言”ですから。
それで、より正確でベストな記録にするために新たに調査することにしました。具体的には「週刊少年マガジン」の表紙や連載時の扉絵などでパンチ数に漏れがないかどうか、最終チェックとして、3日間講談社の図書室に通いました。ここは国会図書館と違って開架式なっていて自分自身で自由に、しかもすべての所蔵雑誌が合本でなくて一冊づつ読むことができました。このときは一緒に『タイガーマスク』の雑誌連載チェックもやったんですが、3日間のうち2日間は朝9時から夜7時まで食事を取る時間も惜しんでぶっ続けで「週刊少年マガジン」の『あしたのジョー』だけを読み続けて、たいへんはたいへんだったのですが、まさしく“あの頃”に帰れる至福のときでした。
それで、週刊少年マガジンの連載とKCコミックス版を見比べながら、少しでも違うページはコピーさせていただきました。見開きページでとったコピーは250枚近くに…。作品の描き直しでは、“漫画の神様”手塚治虫先生が有名ですが、ちばてつや先生もすごい。当時はやたらと作品中に次号予告や商品広告が入っていたんですが、(数えてみたら全連載中に199ヶ所もありました)、それをうまく埋めるために実に微妙な描き直しや、それこそミリ単位でのコマの修整を行っているのです。最高は7ページに渡って、描き直し・修正を行っています。きっと単行本だけ読んでも、どこが描き直し・修整してあるか、すべてわかるひとはほとんどいないと思いますよ。結局、これらの描き直し・修整に関しては、どんなに説明してもうるさいだけでわからないと判断し、泣く泣く割愛しました。実際に雑誌と単行本を見比べながら、それこそ『ウォーリーをさがせ!』よろしく、1コマ1コマじっくり見ていかないとわかりませんからね、ホント。
それと、描き直し・修正のために単行本ではカットされた幻のコマが多数存在するのですが、それらを載せられなかったのは、とても残念でしたね。
あと、タイトルですが、実は最初は『矢吹丈25戦19勝(19KO)5敗1分1EX』でした。1EXというのはカーロスとの特別エキジビションマッチのことです。日本ボクシングコミッションに問い合わせしたところ、エキジビションマッチは戦績には含まない、昔はEXという表記で記録したこともあったが、とのことで…。ぎりぎりまで迷ったのですが、EXという表記が一般的にはなじみがないこと、また現在では使われていないという理由から、公式のプロ戦績ということで『矢吹丈25戦19勝(19KO)5敗1分』にしました。

豊福さんの”あしたのジョー”におけるBESTファイトや好きなキャラをお聞かせ下さい。

ジョーの全ファイトを体験した私の実感から言わせてもらえば、金竜飛戦ですね。ほんとマジ、一番キッかった(笑)。ジョーが精神的に迷いながら闘っていたのが、影響したのかもしれませんね。
あと、BESTファイトではないのですが、ジョーという人間を知るうえで、とても印象深いのが、次の2試合です。
東光特等少年院・寮対抗ボクシング大会3回戦、松木との試合。相手を殴りながら泣くジョー。
プロデビュー戦、村瀬武夫との試合。殴られながら笑っているジョー。
拳闘をやるには、あまりにも、あまりにもナイーブ過ぎる少年ジョーが、ここにいます。

好きなキャラですか…。以前、ネットで「こいつは紀子オタだ!」とバッシングのカキコされたことがありまして…(苦笑)。文庫を読んだ方には意外かもしれませんが、実は白木葉子です。ただし、あの白く燃え尽きたジョーのラストのあとの、梶原一騎先生が最初考えられていた幻のラストシーン(※)が描かれていれば、という特殊な条件つきですが。
もしも、ちば先生が考えられたホセ戦直前の愛の告白もない、梶原版のラストシーンであったなら、『あしたのジョー』は、ジョーと葉子の愛の物語として完璧に完結したと思っています。そこには、ふたりの間で何度となく言い争われた「責任」を果たす葉子がいます。そして、男と女の愛を超えた、葉子のジョーへの無償、無上の愛情が表現されています。
以上は、作品=バイブルとし、作品世界こそ現実であり事実であるマンガ・データ主義から離れた、あくまでも極私的な、ここだけの話ですが。

最後に、何か一言あればよろしくお願いします。

雑誌「ジョー&飛雄馬」発刊記念でやった力石徹33回忌のイベントの際、ちば先生と梶原先生の未亡人の高森篤子さんに、文庫化のお礼とご挨拶をすることができました。
以前、ちば先生には「ちばてつや全集」の巻末エッセイを書いた御礼ということで、わざわざ日光の地酒を贈っていただいたことがあったんですが、直接お会いしたことはなくて…。
初めてお会いしたちば先生は最初ちょっと怖い感じがして、いや、先生がとても人見知りだということは知っていたんですが(笑)。文庫の担当編集者と一緒に貴賓室まで押しかけて、ジョー&力石のイラストとサインをお願いしました。「色紙はあとあとまで残るから、へんなものは描けないんだよねえ」と困った顔をしながらも、胸のポケットから万年筆型の筆ペンをサッと取り出すと、とてもていねいに描いていただきました。まったくのいきなりで、下書きなしというのに、とても素晴らしい出来栄えのジョー&力石でした。そのあと、記念撮影をお願いすると、先生自ら「これ持った方がいいかな」と言って、私のジョー文庫本を手に持って笑顔で一緒に写ってくれたのです。なんと、そこまで、と大感激しました。
そのとき、高森夫人が最初に「今朝、本届きましたよ。タイガーマスクも載っているんですよね」と言って、とても喜んでくれました。その言葉を聞いて、確信できました。ああ、『タイガーマスク』は梶原先生が最も好きな作品だったのだと。梶原先生の原作が最も忠実に作品化されたのが『タイガーマスク』でした。文庫本もジョーだけでいいのにと思われた方も多いでしょうが、タイガーマスクも入れて正解だったと思います。
ジョーとタイガーは梶原原作において、対極にある作品なのです。『タイガーマスク』を読むと、『あしたのジョー』の物語がもっと深く理解できます。特に白木葉子という女性に関して…。すると、どうしても、あの幻の梶原版ラストシーンが…、ということになってしまうんですよね。数多くの優れた梶原原作作品で育った“梶原チルドレン”の私からみると、最後の愛の告白という葉子が、どうしても納得できなくて…。
ハッキリ言っちゃいますとね、葉子は口が裂けてもジョーに「リングへ上らないで!!」なんて言っちゃいけないと思うんですよ。まして、「お願い… 私のために…」なんてこと、絶対に言っちゃいけませんよ。ホント、フーテンの寅さんじゃないけど、それを言っちゃおしまいよ、って感じで…。それまで葉子が言ったりしてきたことから考えたら、こんなの、“ありえない”と思うんです。
葉子は、ジョーが望む生き方か、愛かの間で、たったひとりだけで苦しむべきだと思うんです。それを大事なジョーの一世一代の大勝負、ホセとの世界戦の直前で、いきなり突然、あんなに感情的になって告白するなんて…。
言いたくても言いたくても、どうしてもどうしても告白できずに、そのあとひとりで泣くのが正解じゃないでしょうか。そして涙をふいて、精一杯ジョーを応援して欲しかった。ジョーの前では最後まで凛々しく毅然とした態度でいて欲しかったわけですよ…。だって、彼女は梶原原作のヒロインなんですからね。いや、これは怒りとかじゃなくて、マジで悲しいんです。逆に、そんな女性の一番弱い部分を見せることになった葉子が可哀そうに思うんですよ…(涙)。
文庫版では、そんな高ぶった感情のまま、思わず強い調子で葉子批判の文を書いてしまいました。梶原原作の理想のヒロイン像を追い求めるがあまりの愛のムチだった、といっても弁解になるでしょうが…。常に客観的かつ、冷静でなくてはならないマンガ・データ主義としては、まさにオキテ破りなんですが…。
梶原作品をあんまり読んでいなくて、アニメの2でジョーを大好きになった女性ファンの方は、文庫版の葉子批判の文を読んで不愉快な気分になられたかもしれません。この場を借りて謝ります。本当にどうもすいませんでした。
誤解されると困るので、念を押しておきますが、決してこれはちば先生への不平不満ではありません。
もしも梶原先生の原作に忠実に作品が描かれたとしたら、きっと、もっとシンプルな、ストレートな師弟愛を主としたスポ根ボクシング漫画になっていたと思います。それでも傑作になったかもしれませんが、連載当時の話を聞く限り、伝説となって永遠の名作にまでなりえたかどうかはかなり疑問です。そんな漫画を一気に文学の域まで高めて、永遠の名作にしたのは、ちば先生の力、才能やセンスによるところが非常に大きい。それは梶原先生も素直に認めています。
ジョーのキャラに関しては、両先生とも、ほとんどまったくといっていいほどブレはない。そして、ちば先生は、あのラストシーンを描いて『あしたのジョー』はジョーのバラードとして完璧に完結させた。でも、しかし、梶原チルドレンとしては、梶原主義というか梶原美学としての、ジョーと葉子のバラードもぜひとも見たかった…ということです。でも、これって、ないものねだりのわがままなのでしょうね、きっと…。

現在、『あしたのジョー』連載40周年となる2008年に向けて、ジョー本の企画を考えていて、資料収集などの準備中です。これはマンガ・データ主義でなく、初挑戦となるマンガ家・データ主義の本になります。いま集まっている資料だけでもけっこうな量になってるんですが、まだ、どんなカタチでまとめることができるかハッキリとはわかりません。でも、ぜひなんとか完成させたいと思っています。

・・・お忙しいところ、本当にありがとうございました。(2006年8月21日)


BACK
inserted by FC2 system